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新美南吉童話集 (ハルキ文庫)無料ダウンロードkindle

新美南吉童話集 (ハルキ文庫)

によって 新美 南吉 (著)

新美南吉童話集 (ハルキ文庫) の本の表紙


4.7 5つ星のうち(22人の読者)

新美南吉童話集 (ハルキ文庫)無料ダウンロードkindle - いたずら好きの小ぎつね“ごん”と兵十の心の交流を描いた「ごん狐」、ある日、背中の殻のなかに悲しみがいっぱいに詰まっていることに気づいてしまった「でんでんむしのかなしみ」など、子どもから大人まで愉しめる全20話を収録した、胸がいっぱいになる名作アンソロジー。【「BOOK」データベースの商品解説】【新美南吉童話集/目次】ごん狐手袋を買いに狐和太郎さんと牛牛をつないだ椿の木<幼年童話>・一年生たちとひよめ・うぐいすぶえをふけば・こぞうさんのおきょう・里の春、山の春・くまのこ・げたにばける・さるとさむらい・ぬすびととこひつじ・お母さんたち・でんでんむしのかなしみ小さい太郎の悲しみ久助君の話疣花をうめるおじいさんのランプ解説悲しみに耐える力・・・谷悦子エッセイ思い邪(よこしま)無し・・・谷川俊太郎【商品解説】

新美南吉童話集 (ハルキ文庫)の詳細

本のタイトル新美南吉童話集 (ハルキ文庫)
作者新美 南吉 (著)
ISBN-10978-4-7584-3263-4
発売日2006/11/15
カテゴリ文庫の通販
ファイル名新美南吉童話集-ハルキ文庫.pdf
ファイルサイズ22.77 (現在のサーバー速度は26.2 Mbpsです

以下は、新美南吉童話集 (ハルキ文庫)に関する最も有用なレビューの一部です。 この本を購入する/読むことを決定する前にこれを検討することができます。
子供のくもらぬ目に真理を描く童話作家 ** 新美南吉というと、小学校の国語教科書で読んだ『ごんぎつね』の作者としてしか知らず、年寄くさい名前から、勝手に高齢の作家を想像していたが、実は29歳で亡くなっていたことを知り、驚いた。本書は、そんな夭折の作家による珠玉の童話集である。いたずら好きだが、心優しい狐ごんの悲しい物語は、今読んでも涙が出てくるが、他にも美しい話が数多くつまっている。『牛をつないだ椿の木』。人力ひきの海蔵は、いつも休憩をする井戸が道から離れている状況を改善しようと、道のそばに井戸をつくろうとする。はじめ彼は、井戸の恩恵をうける人たちから資金を集めようとするが、誰もが寄附を拒む。だから彼は自ら金を工面する。そうしてできた金をもって海蔵は、土地の権利者に掛け合うが、これがごうつくばりの老人で、頑として井戸を掘ることを認めない。だがその老人は瀕死の病人であった。その息子が、父が死んだら井戸を掘らせてやると聞いた海蔵は、老人の早く死ぬのを願う。ところがその思いを母親にとがめられた海蔵は心底後悔し、老人のもとに行き、自分の利益ばかりを考えて人の死を願うような鬼のような心をもったことを告白し謝る。それに心を打たれた老人は、井戸を掘ることを海蔵に認める。『一年生たちとひよめ』。ひよめとは、学校に行く途中の池にいる水鳥のこと。一年生たちが、「ひイよめ、ひよめ、だんごやァるに、くウぐゥれッ」と歌うと、ひよめたちは水にもぐる。一年生たちはしかし団子はもっておらず、つまりひよめたちを騙してもぐらせていたのである。その後、学校で嘘をついてはいけないと教わった彼らは、「ひイよめ、ひよめ、だんご、やらないけど、くウぐゥれッ」とうたう。それでも、ひよめたちはくぐった。「ひよめはいままで、だんごがほしいから、くぐったのではありません。一年生に呼びかけられるのがうれしいからくぐったのであります。」これらの話からは、正直であること、そして何よりも人として正しく生きることが、どれほど大切であるかが伝わってくる。正しく生きるとは何か?カントもいうように、他者を自分の利益を実現するための手段ではなく、目的として扱うということである。これらの物語が胸を打つのは、このような真理が端的に示されているからではないか。特にひよめの物語では、たとえ相手が知性をもたぬ鳥獣であろうと、それを騙してわが意のままにする行為はいけないということを子供たちは学び、それを実践する。その結果、相手もまた団子という自己の利益だけを求めて生きているのではないことを知り、子供たちもそれだけ幸せになった。(鳥獣は自己の生存だけを目的とする存在で、潜ったのも子供らの声に危険を察知したためと言うなかれ。生命間の共感には自然科学には計り知れぬ神秘があるのだから。)われわれ大人はともすると、子供は知能が低いから、彼らの読み物は現実の世界をオブラートに包むまやかしでよいと考えがちだ。そこには、何が正しく何が間違っているかが自分にはよくわかっているという驕りだけでなく、真に善なるもの、真に美しいものを忘れた自己の正当化が隠されている。そのような大人の創作する童話に真実はあるまい。実は子供こそが真実をくもらぬ目で見ることのできる存在であり、真の童話作家の責務は他でもない、そのようなくもらぬ目に真理を描いてみせることである。新美の童話にはそんな真理が描かれている気がする。